日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

歴史教育の脆さ、だからこそ気をつけたいこと

井沢元彦『逆説の日本史 6 中世神風編 鎌倉仏教と元寇の謎』を読了。ということで、すでにシリーズ読みで後に引けないというか止められなくなっている、逆説の日本史。図書館で見つけた順に読んでいますので、歴史が行ったり来たり(笑)今回は鎌倉仏教と元寇。鎌倉仏教といえば、曹洞宗とか臨済宗とか日蓮宗ですね。言葉としては習いましたが、その内容までは覚えちゃいません。基本のところをずらりと説明されましたが、あまりよくわからない(笑)宗教についての説明、高校時代も嫌いだったっけなぁ、と思い出しました。
おもしろかったところはいくつかありますが、日本が昔は中国銭(宋銭や元銭)を使っていた、という部分で、こないだ新婚旅行に行きましたカンボジアを思い出した。あの国も、独自の通貨を持っているのに町で流通しているのはUS$なんですよ…。行ったとき、なんでだー!と思いました*1が、日本だって昔は同じだったのですね…。
それと、後醍醐天皇についての評価が二転三転するあたり、歴史は政治によって解釈がどんどん変わっていく、ということを実感。もともと、僕は政治的な意図と歴史教育、みたいな部分を卒業論文として書いたし、このへんについては興味があります。政治体制が変われば、教えられる歴史が変わる。国家関係がよくなったり悪くなったりすれば、その国に関わる歴史事象についての記述が変わる。あたりまえだけど、そうして「教えられた歴史だけ」を信じてしまう子どもを育てたくはない。学校の歴史の授業で習うのも一面。実際にその国の人と話をして知る事実も一面。なるべくいろいろな面を見て育って、その国についての理解としてほしい、というのが教育業界に入ったきっかけでした。インターネットを通じてさまざまな交流ができるようになっているのだから、こういう歴史教育についてもまた考えていきたいと思います。[→メモ:逆説の日本史6 中世神風編]

逆説の日本史〈6〉中世神風編―鎌倉仏教と元寇の謎

逆説の日本史〈6〉中世神風編―鎌倉仏教と元寇の謎

*1:わざわざ空港で現地通貨にしたのに、ほとんど使わなかったよ…