日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

学校と社会

むかしむかしに読んだ、古典中の古典、デューイ『学校と社会』を再読了。アメリカの教育者であり、哲学者でもあったデューイの古典。仕事と絡めて読みました。もうずいぶん前だし、アメリカの話だし、関係ないだろ?とはならないのだな。
学校は受動的な学習の場ではなく、「小社会」でなければならない、という論。今は、学校も「成績を上げる」という意義を持たされていて、小社会というよりは機能的な場*1になりつつありますね。いろいろと示唆的な文章も多く、勉強になります。ただ…読みにくいよ、岩波文庫(笑)*2
子どもたちの注意をとるために、外的にいろいろと用意をしたり(アニメーション教材とか)、罰を与えると脅すディスインセンティブを設定したり、そんなことをしても、結局は意味なんてないよ、というのが耳が痛い。楽なんだよね、外的にいろいろと用意する方が。でも、内部に火を灯さないと、結局学びになんてならないし、それがなければ、学校が小社会になったりなんてしませんわな、と思った。勉強になります。
ちなみに、このデューイとプラグマティズムの哲学者デューイって、同一人物だったのね。思索者であり、実行者であった、ということか。[→メモ:学校と社会]

学校と社会 (岩波文庫)

学校と社会 (岩波文庫)

*1:ゲゼルシャフトゲマインシャフトだよ、と某教授の真似をする友達の口調が浮かんでくる(笑)どっちがどっちだっけ?

*2:フォントが小さいのです。行間が狭いのです。もっとたくさんの人に読んでもらいたいなら、古典は「読みやすさ」を考えないと。あとは、表紙を人気漫画家に描いてもらうとか。どこかの出版社が文庫フェアでやってたよね。