日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

「意見の対立」の根源は、「他人の考え方が分からない」である。

橋本治『ああでもなく こうでもなく4 戦争のある世界』を読了。『広告批評』内での連載、第4弾。2002年4月から2004年3月。自衛隊の海外派遣とか、民主党自由党の合併とか、小泉劇場の頃だったのだな。懐かしい。橋本治さんの物の見方は好きだ。
中でも、国語を教えていたことがある、ということで書かれた以下の部分が好きだ。

他人の文章に対して「そういう考え方もあるのかァ…」だけで来た子供が、国語に対して平気になる方法は、「だったらこういう考え方もある」という、逆提示が出来るようになるだけだ。
思考がパッシヴのままだとピンぼけで、自分のピンぼけ状態をいやだと思って、「これをなんとかしよう」と思ったら、パッシヴをアクティヴにひっくり返すしかない。「自分もまた、他人とは違っているが、ある考え方を持つ」ということが明白になると、他人の考え方が分かるようになる。
「意見の対立」というのはいくらでも世にあるが、「意見の対立」の根源は、「他人の考え方が分からない」である。
他人の考え方が分からない人間というのはいくらでもいるが、他人の考え方が分からない−−そういう理解能力のない人間というのは、実は、「自分がなにをどう考えているのか」を、明確に理解していない人間なのだ。(p.193)

こういうのこそ、学校でもっと教えるべき内容な気がする。[→メモ:ああでもなく こうでもなく4 戦争のある世界]

戦争のある世界―ああでもなくこうでもなく 4

戦争のある世界―ああでもなくこうでもなく 4