日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

『いま、地方で生きるということ』 inspires me a lot.

 西村佳哲『いま、地方で生きるということ』を読了。すごい、いろいろ考えるきっかけをくれる本。地域のために仕事をしてる人といろいろ話したくなった。みなさん、飲みませんか?僕のぼんやりした問題意識と、「なんかできることないんすかね?」という話に付き合ってくれる人、いませんか?(笑)

いま、地方で生きるということ

いま、地方で生きるということ


 以下、「あ、いいなあ」と思ったところを。

 ギャラリー「ココラボラトリー」主宰の笹尾千草さん。

またある日、家の近くをブラブラしていたんですね。そうしたら近所のおじさんに話しかけられて、「あなたのとこのお爺さんがやってた百杯会というのは、面白かったなあ」と急に言われた。
お爺ちゃんは医者なんです。でもそれは酒飲みの会らしくて、「俺は墓石屋だけど、百杯会に行くと偉い先生とかいろんな人が来てて、俺みたいな学のないのにもいろんなことを教えてくれて、ほんとに面白かった」って言う。
家に戻って聞いたら「ああ、そういうのやってたね」って、小屋から桐箱を出してきて。その中に焼き方の違う、すごくちっちゃなお猪口がいっぱい入っていた。全種類のお猪口で百杯飲む。だから百杯会。
(略)
「あ、これだ!」と。「百杯会を復活させよう!」と思って、それから始めたんです。ココラボができる前から。不定期なので、年に3回やる時もあれば1回しかやらない時もある。そのとき面白いなと思える話題で、地元の人をゲストで招いて、酒飲みながら聞く会なんですけど。(p.165)

 いいな、この百杯会。やってみたい。行ってみたい。でも、すぐ酔っ払って、何を話してるのかまったく覚えていなさそう…(笑)

 それから、福岡の地下鉄についてのコメントもよかったです。

各駅ごとの紋章も素敵だ。駐輪場の柵ひとつとってもデザインのOSが違う。モダンなかっこよさは、あまり志向していないんじゃないか。この街ではデザインが「ここ」というか、「ここにわたしたちがいる」感覚を共有するための一助になっているように感じる。とくにパブリックスペースのそれに、「買って」とか「注目して」ではなく、「わたしたち(We are)!」と語りかけてくるようなデザインが多く(主観です)、それらを通じて、肯定感覚の交わし合いが進んでいるような気がした。(p.177)

 さらに、偶然の出会いからずーっと時間を共にしている子どもたちの写真を撮り続けている酒井咲帆さん。

「酒井咲帆は、人との対話や関わり合いを主軸に、写真家の役割を越えたさまざまな活動を行っている写真家である。
今回展示している《いつかいた場所》は、旅の途中で偶然出会った子どもたちと酒井との、10年にわたる交流を記した写真集だ。バスで居眠りして偶然辿り着いた見知らぬ村。途方にくれる酒井を待っていたのが、写真に写っている子どもたちとの出会いだった。
再会は約束となり、以来10年間、毎年一度その村に出向いて子どもたちと時間を重ねることとなる。今年その子どもたちは、成人式を迎えた(p.180)

 すてきだなあ。


 実はいちばん衝撃を受けたのは、星川淳さんのインタビューでした。すごいしている原体験が似ている!と思って。

とくにまだ若く、将来子どもを持つとかそういうことも考えれば、線量が低い方がいいのは当たり前なので、少なくとも西へ移るし、こういう腐った、嘘にまみれた原子力をめぐる状況にもし今回初めて気づいたとしたら「とんでもないな」と、「こんな腐ったところにはいられねえよ」という感じになったと思いますね。
なぜ確信を持って言えるかというと、僕は一度、そうやって実際に脱出した人間なんです。この国の教育制度や日本社会から。

背景を少しお話しすると、僕は小学校高学年の頃からSFにのめり込んで、『渚にて』をはじめとする「核戦争後の世界」を描いた作品などにどっぷり浸かりながら思春期を過ごしました。同時に、その頃は冷戦のまっただ中で、米ソの核ミサイルが何万発も向きあって、いつどちらがボタンを押すかわからない状況にあった。
創刊された「少年マガジン」や「少年サンデー」にも核戦争の特集が載っていて、純粋なものだからまともに信じこんで、ジェット機の轟音が聞こえてくると「あれはソ連の核ミサイルが東京に落ちてくる音だ」と思って「次の瞬間僕は溶けていなくなって死んじゃう」と観念するような――自分では“瞬間戦”を生き延びた世代だと考えています。

で、それが続くと、やっぱりこれは正常じゃないと感じるようになる。「こんな状況の中で生きるのはおかしい、こういう恐怖のない世界をつくりたい」というのが、僕の中では自然と大きな動機になっていった。「今のこの文化、文明、現代的な社会のあり方は絶対に長くはつづかない。自分は持続可能な世界をつくる方に人生を賭けたい」ということを、高校生くらいで固く決意していたんです。(p.240-242)

 まさしく、僕も「こんな状況の中で生きるのはおかしい、こういう恐怖のない世界をつくりたい」と、今でも思ってます。なんだかとても勇気づけられた感じ。仕事に埋もれて、こういうことを忘れてはいけないなあ。

 ああ、いろんな人と話がしたい。本当に。もっともっと、世界を広げていきたい!