有田陶器市に行ってきた
仕事の前に、有田陶器市をやっていると聞いたので、ちょっと足を伸ばして行ってきました。巨大な陶器市だった…。陶器の街といえば益子に行ったことはあるのですが、あれよりもずっと規模が大きい。さすがだ…。
前日に、お仕事でお会いした方にアドバイスをいただいたので、上有田駅から歩いてみました。
駅の線路沿いに神社があって、なかなかいい感じ。こういうところ、本当に好き。
途中で、お客さんをたくさん乗せた電車も到着。
地図をもらって、それにしたがってひたすら歩いてみる。めちゃめちゃお店が連なっている方へ。
すごいすごい、たくさんの人が!地元の中学生や高校生がボランティアで手伝っています。お店を手伝ったり、清掃を手伝ったり。地域ぐるみでやっているのだなあ、という感じ。
GWの真ん中の平日午前中ですから、まだまだこんなもんじゃないのでしょうね。たくさんの人出があるのでしょう。
途中、いい感じの路地があります。
曲がってみると、いいっすねー。「トンバイ塀」というそうです。トンバイ塀とは、「登り窯を築くために用いた耐火レンガ(トンバイ)の廃材や使い捨ての窯道具、陶片を赤土で塗り固め作った塀のこと」だそうですよ。
さらに歩いて行くと、看板が出ていて、陶山神社が丘の上に。階段を登って行ってみた。
鳥居も陶器。
「応神天皇(八幡神)を主祭神に、鍋島直茂公と李参平公を配祀」ということ。 李参平は朝鮮出身の陶工で、有田焼(伊万里焼)の生みの親として知られている人。つまり、陶祖の宮。有田焼の守り神。
万治元年(1658年)8月に、有田皿山代官の命により、現伊万里市二里町鎮座の神之原八幡宮から分霊を勧請して創祀され、皿山代官管轄下の全神社の筆頭の意で「有田皿山宗廟八幡宮」と称された。明治初年に現社名に改め、明治5年(1872年)に村社に列した。
もうちょっと歩いてみると、異人館というのもありました。異人館といえば神戸だけれども、有田焼で財を築いた承認もいるわけですね。接待用の商館があったのだそうです。
有田焼そのものよりもずっと、その街の歴史に興味がわいた散歩でした。スーツで歩き回るのがもったいないくらいのいい天気だったです。次回は、もうちょっとゆっくり歩きたいな。