與那覇潤『中国化する日本』は、最高におもしろい本だった
與那覇潤『中国化する日本』を読了。いやー、ものすごくおもしろい本でした。ワクワクして読み終わった。
中国化する日本 増補版 日中「文明の衝突」一千年史 (文春文庫)
- 作者: 與那覇潤
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2014/04/10
- メディア: 文庫
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「中国化する日本」っていうのが、何だかセンセーショナルなタイトルですが、そういう感じではなく、この本での「中国化」は、「日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくること」であり、以下のような概念です。
本書は、歴史学の方法を使って、そのような新しい日本史のストーリーを描きなおすものです。そこで鍵になるのが、私たちが「絶えず進歩してきた」とする「古い日本史のストーリー」で頻繁に使われてきた「西洋化」・「近代化」・「民主化」などに代わる、「中国化」という概念です。(p.12)
中国の王朝の中でも、特に宋において、社会のしくみが完成している、という考え方です。そうした例が、次々に挙げられていきます。
宋という王朝は、唐までの中国とはまったく異なるシステムを導入した、文字通り「画期的」な王朝であり、さらにその宋で導入された社会のしくみが、中国でも、そして(日本以外の)全世界でも、現在に至るまで続いているとさえいえるのです。
逆にいうと、「日本が唐までは中国に学んでいたのに、宋からはあまり学ばなかった」というのは、なんとなく自明視してしまってよいことではなく、それ自体が大事件なのです。つまり、中国では宋という時代から「近世」に入り、はっきりいえばその後、中国社会の基本的な構造は、今日の人民共和国 に至っても、ほとんどなにも変わっていない。
しかし、唐までは中国を意識的に模倣していたはずの日本は、なぜかこの宋朝以降の中国の「近世」については受け入れず、鎌倉から戦国に至る中世の動乱のあいだ延々とすったもんだした挙句に、江戸時代という中国とはまったく別の「近世」を迎えることになる。そして、近代というのは「近世の後半期」ですから、中国では宋朝で作られた社会のしくみが今日まで続いているように、日本でも江戸時代のそれが現在まで続いてきた(いわば、長い江戸時代)。
ところが、今や様々な理由によって、その日本独自の「近世」である江戸時代のやり方が終焉を迎えた結果、日本社会がついに宋朝以降の「中国の近世」と同じような状態に移行――「中国化」しつつある、というのが、本書のタイトルの本当の意味になります。(p.16-17)
宋朝ってどんなだっけ?くらいな感じに思っていたのですが、説明を読むうちに、なるほど…と思うことが多くて、この「なるほど…」って思わされちゃうのがとても知的快感でした。例えば、以下の部分とか。(p.18-22)
最新の思想史研究では、ヨーロッパの近代啓蒙主義を、宋朝で体系化された近世儒学のリメイクとして考える。また、西洋ルネッサンスの三大発明(火薬・羅針盤・活版印刷)は、実はどれも宋代中国の発明。
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プロの経済史研究者の探究
それとか、内藤湖南の「宋代以降近世説」とか。(p.30-34)
宋という王朝の画期性:
現在のグローバル社会の先駆けともいえる近世宋朝中国=中華文明の本質は、「可能な限り固定した集団を作らず、資本や人員の流動性を最大限に高める一方で、普遍主義的な理念に則った政治の道徳化と、行政権力の一元化によって、システムの暴走をコントロールしようとする社会」(p.48-49)
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その特徴を確認できる、5つのチェックポイント
- A.権威と権力の一致
- 貴族のような政治的中間層と、彼らが依拠する荘園=村落共同体(中間集団)が打破された結果、皇帝が名目上の権威者に留まらず、政治的実権をも掌握する。
- B.政治と道徳の一体化
- C.地位の一貫性の上昇
- 皇帝が行う科挙=「徳の高さ」と一体化した「能力」を問う試験で官僚が選抜されるため、「政治的に偉い人は、当然頭もよく、さらに人間的にも立派」というタテマエが成立する。
- D.市場ベースの秩序の流動化
- E.人間関係のネットワーク化
- その結果、科挙合格者を探す上でも、商売上有利な情報を得るためにも便利なので、同じ場所で居住する者どうしの「近く深い」コミュニティよりも、宗族(父系血縁)に代表される「広く浅い」個人的なコネクションが優先される。
では、その頃の日本は?というか、日本社会はどんなふうになっていっていたのか?(p.49-50)
逆に、このような世界観を拒否した鎌倉武士たちに始まり、やがて江戸時代という日本独自の近世へと結実していく、日本文明の特徴は?↓
- A' 権威と権力の分離
- B' 政治と道徳の弁別
- C' 地位の一貫性の低下
- 「能力」があるからといってそれ以外の資産(権力や富)が得られるとは限らず、むしろそのような欲求を表明することは忌避される。たとえば、知識人が政治に及ぼす影響力は、前近代(儒者)から近現代(帝大教授、岩波文化人)に至るまで一貫して低く、それを(ご本人たち以外)誰も問題視しない。
- D' 農村モデルの秩序の静態化
- E' 人間関係のコミュニティ化
- ある時点で同じ「イエ」に所属していることが、他地域に残してきた実家や親戚(中国でいう宗族)への帰属意識より優先され、同様にある会社(たとえばトヨタ)の「社員」であるという意識が、他者における同業者(エンジニア、デザイナー、セールスマン…)とのつながりよりも優越する。
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言い方を変えると、よきにつけ悪しきにつけ指摘される、日本人の「グローバル・スタンダード」(実際はアメリカン・スタンダード)への適応不全は、なにも今日突然始まったことではないわけです。1000年前、当時の世界の富のほとんどを占有していた近世中華文明が発信する「チャイナ・スタンダード」の受容を拒否したところから、この国独自の歩みはスタートしたのですから。(p.51)
こうなると、中国大陸の人々はそれまで蓄財した銅銭を国内で使えない。だったらどうするかといえば当然、対外貿易で使う。かくして日本と東南アジアに大量の中国銭が流出し、鎌倉時代末期の日本では年貢の銭納化が進むなど、平氏政権期以上の怒濤の経済革新に見舞われます。
平清盛の日宋貿易でさえ、最後は「中国化派」(グローバル化派)と「反中国化派」(反グローバル化派)に分かれての源平合戦に帰結したのですから、こうなってしまうと鎌倉政権は持ちません。荘園農地をがっちり押さえている鎌倉幕府の公的御家人に対し、北条得宗家の私的使用人だった御内人は貨幣と商業を基盤に急速に権勢を拡大し、両者の内紛で当地はガタガタになっていきます。(p.58)
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その機を捉えて鎌倉政権を葬った人物こそ、異形の王権・後醍醐(網野善彦『異形の王権』)
- 作者: 網野善彦
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1993/06
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『異形の王権』についての説明もおもしろかったなあ。(p.58-59)
後醍醐の画期性は楠木正成らの悪党をはじめとした漂泊民や商工業者を組織して、農業基盤に依拠する武家勢力を打倒する発想の大胆さと、供花社会の家格や先例を無視して、自身の意のままに人事や政治を刷新する破天荒ぶりにあり、これは歴代天皇の中でも空前絶後ということで、網野は後醍醐を「異形の王権」と呼んだのでした。また最近は、後醍醐が独自の貨幣発行を計画していたことも注目されています。
しかし、ちょっと待ってください。これって本当に「異形」でしょうか。お隣の国中国を見れば、300年前の宋朝の時代から、皇帝主導の人事・既成貴族の排除・商業中心の政治・貨幣経済の振興・移動の自由の称揚、すべて自明のことです。世界標準で見れば後醍醐の方が「普通の王権」であり、彼以外の天皇のあり方こそが「異形」のはずです(「変人宰相」と呼ばれた小泉純一郎氏の政治手法が、新自由主義以降の英米圏ではごく普通のやり方だったようなものでしょう)。
実際、網野も中国史家である谷川道雄氏との対談では、建武の新政を宋朝の皇帝専制を日本に導入しようとしたもの、と明言しています(『交感する中世』)
- 作者: 網野善彦,谷川道雄
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中国の王朝のシステムが汎用性が高い、という説明を、日本と比較するところもおもしろかった。(p.70)
満洲族は中国本土に侵攻する前に、モンゴル族とも義兄弟の契りというか同盟関係を結ぶのですが、その際に元朝以降、彼らの信仰となっていたラマ教(チベット仏教)を摂取しています。そこで、大陸の覇者となりチベットを傘下に収めた後でも、漢族に対して「儒教道徳の実践者」として君臨したのと同様、モンゴルやチベットに対しては「仏教の庇護者」として振る舞うという使い分けをしたので、今日とは対照的に、清朝政府とチベット民族との関係はおおむね良好だったと見られています(平野聡『清帝国とチベット問題』)。
この、相手の信じている理念の普遍性をまず認め、だったら他所から来たわれわれにも資格があるでしょうという形で権力の正統性を作り出すやり方が、宋朝で科挙制度と朱子学イデオロギーが生まれて以降の、かの国の王権のエッセンスです。言い方を変えると、世界中どこの誰にでもユーザーになってもらえるような極めて汎用性の高いシステムとして、近世中国の社会制度は設計され、そのことを中国の人々は「ナショナル・プライド」にしてきたと見ることもできます(「日本でしか使えない」ことを自慢する「親方日の丸」方式とはえらい違いですね)。
では、アジアの中で唯一、近代化に成功したと言われる明治維新はどうなのよ?と思っていると、ちゃんと説明されました。(p.126-131)
明治維新とは「新体制の建設」というよりも「旧体制の自壊」に過ぎないのです。その旧体制たる日本近世の本質とはなにかといえば、もともと中世の段階まではさまざまな面で昂進していたはずの「中国化」の芽を根こそぎつみとって、日本が宋朝以降の近世中国と同様の社会へと変化する流れを押しとどめていた「反・中国化体制」ですね。
それを自分で内側から吹き飛ばしてしまったわけですから、当然ながら明治初期の日本社会は南北朝期以来久々の、「中国化」一辺倒の時代を迎えることとなります。
(略)ここ20年間くらいの日本近代史や日本思想史のプロの議論では、「これまで『西洋化』と見なされてきた明治期の改革の成果をよくみると、実はそれらは同時に『中国化』とも呼べるものであったというか、むしろ『西洋化』以上に『中国化』としての性格の方が強い」という見方が主流です。
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そのポイント
「西洋化」というよりも「中国化」なのか。中央集権国家にしたわけだし、科挙と学制はたしかに似た感じもするなあとか、思ったことがないことがたくさんだ。(p.134)
すなわち、日本人は、待ちに待たせてきた「中国化」をいよいよ敢行する際に生じる巨大な変化に紛れ込ませて、その際いっしょくたに「西洋化」もなし遂げてしまうことができてけれども、中国人や朝鮮人は早々と「中国化」を達成してしまっていた分、「西洋化」のタイミングを逸する格好になったというのが、東洋/西洋の別にも、日中韓のいずれにも偏らない、真にフェアな歴史認識というものです(宮嶋博史「日本史認識のパラダイム転換のために」)。
この、「西洋化」の大部分は内容的に「中国化」と重なるので、中国や朝鮮では「西洋化」を必要とする度合いがそもそも低かったという視点を忘れて、「なぜ中国や朝鮮でなく、日本だけが」という形でばっかりかんがえていれば、誰だって「中国人や朝鮮人と違って、日本陣は偉いからだ。賢いからだ」式の答えしか出せないのは当然です。あとは、大和魂だ武士道だ万世一系だ富士山だと、「日本にしかなさそうなもの」をとりあえず列挙して「ほれみろ、日本は中国よりすごい、朝鮮よりすごい」と連呼するだけの「危険なナショナリズム」しか残りません(というか、それってそもそもナショナリズムなんですかね。私は単に「お国自慢」というべきだと思うのですが)。
明治維新については、なかなかショッキングな話が続きます。(p.135-136)
明治維新が中国化であるというのは、要するに平安末期以降の日本人が延々とその導入に抵抗してきた「近世中国」風のしくみを、「いやこれは『近代西洋』のものですから」と看板だけかけ替えて普及させたということですから、日本人には本音のところで、明治維新による社会の変革を素直には喜んでいないフシがあります――「維新の英雄」の一番人気が、戦前は西郷隆盛、戦後は坂本龍馬という、ともに「志半ばで倒れた人」であり、真に明治国家の中枢を担った伊藤博文や山縣有朋ではないことは、まさに示唆的でしょう。
日本人は、実は明治維新によって生じた変化(=中国化)を、内心喜んでいないのではないか――こういう「本当は心のどこかで嫌いな明治維新」を、「でも、それは西洋化だから。中国人や朝鮮人にはできなかったすごいことだから」という「他人に対する見栄」だけで無理やり好きになろうと自己暗示をかけ続けるのは、危険な状態です。それは要するに「名家の出身でお嬢様だから」「高身長・高学歴・高収入だから」「美人(イケメン)だとみんながいうので周りに自慢できるから」といった理由で、大して好きでもない女(男)と結婚するようなものですから、最後には自分自身の人格や家庭をむしばむことになります(安冨歩・本條晴一郎『ハラスメントは連鎖する』)。
ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書)
- 作者: 安冨歩,本條晴一郎
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アメリカについても書かれています。(p.234-235)
自分で育てたタリバーンに叛かれ、イランを抑えるために支援したイラクのフセイン政権に反逆され……というアメリカのイスラーム外交の下手さぶりは有名ですが、これは「傀儡政権さえ作ればうまくいく」といって中国大陸で自滅したかつての日本陸軍の忠実な再現です。地域ごとに仕切って「封建制」の枠組に住民を押しこめる。江戸時代のようなやり方は、日本人がやろうとアメリカ人がやろうと、そもそも「封建制」の伝統が弱い中国人やムスリムには相手にされないのです。
内藤湖南から京大東洋史の学統を継いだ宮崎市定は、内藤湖南がいう「宋朝から中国は近世」のさらに300年ほど前、イスラーム勃興期の西アジアが世界で最初に近世に入ったとする、独創的な歴史観で知られます(『アジア史論』)。えっ、ヨーロッパはって?もちろん、そんなもん一番ビリです。
本書をここまで読んでも、まだ信じられないという方、冷静に世界史を振り返ってみてください。ヨーロッパ人のいうルネッサンス(古典復興)とは、イスラームが保存してくれていたギリシャ・ローマ古典の再輸入に過ぎないじゃありませんか。法王庁の権威を否定し信者の平等を説いた宗教改革なんて、まさにイスラームがカーバ神殿を破壊したときにやったことじゃありませんか。主権国家にあれだけこだわった西欧人が、いまやイスラーム主義よろしくヨーロッパ主義を掲げて、「国境を超える共同体」を作ろうとしているじゃありませんか。政教分離と無差別戦争観の西洋近代が終わって、アメリカ人がジハードを始めてるじゃありませんか。
――かくして、「西洋が常に東洋より進んでいる」という、欧米人の「自慰史観」が所詮は単なる「お話」でしかなかったことが明らかになり、中国やイスラームのような「本当に進んでいた社会」が歴史の担い手として再浮上してきたのが、1979年なのです。
歴史は、ずっとつながっているものなので、今日の社会の話までも全部つながっていることが書かれます。(p.260, p.260-261)
大竹文雄氏が当初から指摘していたように、ここ30年近くにわたって一貫して(見かけ上の)格差が拡大してきた原因は、個別の内閣の政策云々というより、日本人の家族構造の変化にあります。もともと、田中角栄の絶頂期だった70年代初頭から一貫して、日本で最も多い家族構成は「4人世帯」で、全世帯の実に4分の1を占めていました。日本人の標準的な家族イメージは、「お父さんは正社員、お母さんは専業主婦かせいぜいパートで、2人の子供を育てる」といったところでしょうが、実際にそれが主流といえる状況があったのです。
ところが、奇しくも最初の非自民連立政権が成立した93~94年の前後から、これを「1人世帯」および「2人世帯」が逆転し、今や2人以下で暮らす日本人の方が遥かにメジャーになっている。そして、今日の日本で最も高い貧困率を示すのは、若年ないし高齢者の単身世帯か、母子世帯です(橘木俊詔『格差社会』)。
これだけでも十分大変なのに、加えて不況が追い打ちをかけます。日本の社会保障は「正社員をクビにしない」という雇用レジームの形でなされてきたので、クビになったりそもそも正社員になれなかったりした場合は、なにも手当をしてもらえないということになる(湯浅誠『反貧困』)。これもまた、男はどこかの会社に入って、女は正社員の旦那を作って離婚しなければ、あとは定年までやっていけるという「『新しい江戸時代』のネオ封建制」が、時代とあわなくなっていることを意味します。
まとめると、こういうことです。平安時代まで、荘園やイエといった「封建制」の特権に与れたのは貴族だけで、鎌倉時代でそこに武士が加わる(逆に「封建制」自体を否定しようとした武将や貴族や天皇は、排除される)。さらに江戸時代になると、イネの普及によって百姓もイエを持つようになりますが、そこから排除された次三男の不満が、明治維新を起こす。ところが大正以降は重化学工業化のおかげで、彼らにもイエを持たせてやれるようになり、昭和にかけて企業の長期雇用と低い離婚率とによって、みんなが「封建制」の恩恵を受けられることになる…といっても実のところ、フリーターやシングル女性は例外ですが、彼らについては「自己責任」ということにして、面倒はみない。
――おおむねかような形で維持されてきた、「長い江戸時代」のしくみがとうとう行き詰まり、今度こそ日本社会も「中国化」する番が、ついに来てしまった。
小泉改革についてもちょっと出てきます。(p.264)
歴史を人類がよりよい方向に向かって「進歩」していく過程だと捉える教科書的なマルクス主義史観とは異なり、むしろ歴史とは常にかつておきた何かの「反復」であり、しかもそれは繰り返されるごとにショボくなっていくのだという洞察を示したものですが、隣国に宋朝が成立して以来のこの国での「中国化」と「江戸時代化」の闘争を振り返っても、確かに首肯せざるを得ません。
「中国化」なら明治維新と小泉改革を比べたときの、「再江戸時代化」なら青年将校と政権交代を並べた際の、このガクッと来るようなスケールの小ささを思えば、平素は反共主義の方でも、今回のマルクスの至言にはご納得いただけるかと存じます。もっとも、そのショボさゆえに、われわれは革命の副作用の少なさ――端的にいえば、巨大な戦争や粛清や飢餓がもたらされないこと――をも享受しているのだから、そのことだけを私たちは「進歩」と呼ぶべきなのかもしれませんが。
いやー、気になったところだけ抜き出してもけっこうな量だったなあ。これ、本をもう一度読みたくなるわ。ざーっと抜き出したところで、「おもしろそう」というところがあれば、ぜひ読んでみたらいいと思います。