日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

『炎立つ』、完結!

高橋克彦炎立つ (5) 光彩楽土』を読了。これにて完結。とてもよかった。源平合戦から源氏の平泉滅亡までの時代。この時代はドラマ化もたくさんされているので、「もう知ってる」と思ってたけど、見事にそれを覆してくれる。やっぱり公卿(=保身に走る官僚たち)がいかんのね、と憂鬱な気持ちで読み進めていたのだけど、最後の蝦夷の終わらせ方はいいなあ。
主人公は次男の藤原泰衡なのですが、ずーっと父の言いつけを守らずに義経を殺して、そのうえ平泉を滅ぼしてしまったバカ3兄弟、みたいなイメージでしかなかったけれど、泰衡のなんとかっこいいことか。

炎立つ 伍 光彩楽土 (講談社文庫)

炎立つ 伍 光彩楽土 (講談社文庫)


平泉が鎌倉に滅ぼされた理由、というのにすごく説得力を感じたんだよねえ。最後に高橋克彦さんが解説をしてくれているので抜粋。

源平の争いがただの勢力争いであったなら問題はないのだけれど、あれは政治戦争であったのだ。公家政治と密着して新しき政を模索していた平氏。それに頼朝が立ち向かっていくためには、その政を超えたアイデアを持ち込んでいかなければならない。そうなると戦さに勝利しても結局は平氏と同じ道を辿るか、もっと後退して旧態の公家政治を踏襲するしかないのだ。この巻を書くまでは公家政治と武家政治の差を、それほど認識していたわけではなかった。軟弱な官僚政策に対する軍国主義的な独裁政治の差であろうと思っていた程度だった。だが、史料を読み進むにつれて頼朝の行動にさまざまな疑問が生じるようになった。また平氏がああいう政策しかとれなかったことへの不思議さも。平氏の方が遥かに独裁政治であったし、源氏はむしろ公家を気にしすぎているように見える。そこに何百年も続いた公家政治の凄さがあるのだと気付くまで時間がかかった。この公家政治から脱却するには武力だけでは果たされない。なのに頼朝は短い時間でそれをやり遂げた。どこで頼朝はそのアイデアを得たのだろうか?平泉に違いないと私は確信した。平泉の民は蝦夷と呼ばれ、蔑まれていたことで公家政治の外側に追いやられていた。それが逆に公家政治とまったく異なる政のシステムを完成させることに成功したのである。五年や十年なら武力で統括できるが、平泉の藤原一族は百年近くも陸奥を支配している。史料に残されていなくても決して無理のない想像であろう。百年も続いた政権には必ず政を潤滑に執り行なうためのシステムがあるはずである。平氏の栄華などたかだか四十年でしかない。陸奥こそ日本で最初の武家政治を行なっていた国だったのだ。頼朝はそれに気がついて公家政治を打破する構想を得たとしか思えない。だから平氏と同様に平泉は頼朝にとっての仇敵となる。(p.398-399)


大河ドラマでもやってるんだよね…。見たいなあ。1993年かー、このあたりは大河ドラマを見ていなかったんだよなあ。藤原経清渡辺謙、安倍貞任が村田雄浩、藤原清衡村上弘明、と主役陣いいなあ。わがままで臆病に描かれている清原家衡が豊川悦司だったりするのは、時代を感じるねえ。源義家伊崎充則→佐藤浩市なのはいいね!でもいちばん、「おお!」と思ったのは、源頼義佐藤慶という配役。見たいな、見たい。