日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

近代社会は代理の社会だ、まではわかる

昨夜、松岡正剛『誰も知らない世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』を読了。
国民国家(ネーション・ステート)の成り立ちを、世界史的に横に串刺しして語る。日本の明治維新とほぼ同じころにイタリアで国民国家が成立、とかそんなこと考えてもみなかった比較がされていておもしろい。

そもそも近代社会というのは「代理の社会」だというふうに思っています。(p.392)

というのも、社会学の講義で聞いた気がするぞ。「代理の社会」であり、家事やら教育やらもすべてアウトソーシングした社会。政治は「お願いしまーす」と全部を丸投げしてしまうのではなく、選んだからには応援する=支える、というのが必要だよな。覚悟を決めて支持する、というのが難しい制度だよな。選挙権を持つ者としての覚悟。
ここから松岡さんは、「代理の社会」を「編集の社会」にしていくべきだ、と言うのですが、それはちょっとわからん(笑)[→誰も知らない世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義]

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義