佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』を読了
大学時代に同級生の影響で本当によく読んだ佐伯啓思先生の『自由と民主主義をもうやめる』を読了。2008年に発行されているのでだいぶいまと状況が違うものもあるかな…と思いつつ。タイトルが刺激的だったので、手に取りました。実際は、「自由と民主主義を(絶対にそのままただしいものだと考えるのを)もうやめる』ということですね。
- 作者: 佐伯啓思
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2008/11
- メディア: 新書
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そもそも、右翼と左翼とは…というところから話が始まります。
「左翼」は、人間の理性の万能を信じている。人間の理性能力によって、この社会を合理的に、人々が自由になるように作り直してゆくことができる、しかも、歴史はその方向に進歩している、と考える。
一方、「保守」とは、人間の理性能力には限界があると考える。人間は過度に合理的であろうとすると、むしろ予期できない誤りを犯すものである。したがって、過去の経験や非合理的なものの中にある知恵を大切にし、急激な社会変化を避けよう、と考える。
これが、本来的な意味での「左翼・進歩主義」と「保守主義」の対立です。社会主義か資本主義か、あるいは、親米か反米か、といったことは関係がありません。(p.22-23)
こういうふうにきちんと整理すると、この後の文章で書かれているのですが、アメリカがそもそもとても「左翼・進歩主義」の国だよなあ、と感じます。アメリカは、合理的主義精神によって、社会をコントロールできると考えている。人間の無限の自由に大きな価値をおく。また、徹底した技術主義の国。アメリカ文明は進歩主義。アメリカほど「歴史の進歩」を信じている国はほかにはない。たしかになあ、と。
ソ連=社会主義があったからこその分類なのだなあ、と。まあ、分類することでわかりやすくはなるけど、本質的なところを考え続けるという行動に繋がりにくくなりますね。
結局、第二次世界大戦をどう処理したか、というところにまで、日本で「自由」と「民主主義」をどう見るかということは遡るのですね。こうした言説は、とても興味があります。
ここまでの話をまとめると、「戦後」に対しては、二つの見方があるということです。
一つは丸山さんのような、公式的な戦後民主主義、平和主義の立場からの見方。あの間違った戦争を食い止めることができなかったという「悔恨の共同体」が、戦後の共通了解であるという考え方です。左翼的な考え方と言っていい。
もう一つは、吉田満に示されるように、あの戦争がよかったのか悪かったのかはともかくとして、そこで死んでいった若者たちに、われわれは非常に多くの何かを追っている、という「負い目の共同体」という考え方です。
(略)
私自身は明らかに後者のほうに立ちたい。丸山さん的な「悔恨の共同体」は、あまり意味のあるものだとは思えません。(p.188-189)
こういうところまでさかのぼって考えてみたい。もう起こってしまったことは変わらないけれど、そうした背景があるからこう考えてしまうのだ、というふうに認知しておくことは大切だと思います。
だからこそ、あとがきにある言葉に繋がるかな、と。
一国のはぐくんできた価値を大事にしようという立場を「保守の精神」と言っておきましょう。すると、「自由」や「民主主義」といえども、「保守の精神」が根底になければロクなものにならないということがわかります。(p.226)
政治には期待しているところもあるし、まったく期待していないところもあるのですが、無関心にはならないように、「どうしてこう考えちゃうんだろう」というところを考え続けていきたい。
tamekko.hatenablog.jp
ひさしぶりに佐伯啓思先生の本を読み、楽しかったので、ちょっと近著を読んでみようと思います。