日々、想う。んで、記す。

プライドを持たない、節操を持たない、愛着を持たない、弱音を吐かない。

海軍省が解体された時代

保阪正康『そして官僚は生き残った 内務省陸軍省、海軍省解体』を読了。第二次世界大戦後に解体された巨大官僚組織、内務省陸軍省・海軍省の話。興味があったのは、内務省と海軍省。内務省は明治からの発展の基礎をグイグイと作っていった組織だし。海軍省はイメージ的にリベラルな感じがしていたから。
米内光政の海軍省解体の時に発表されてた声明のなかで、国民の謝罪の意が表されていたりもしたのだね。今の政治家、こんなこと言うだろうか、とか考えてしまう。時代が違うから簡単に比べていいものではないけど。

米内光政は)この一方で、国民各層に対しての声明も発表している。こちらは海軍創設以来「七十余年」の歴史にもふれている。海軍大臣としての責任についても謝罪の意をあらわしている。海軍が消えるときの当事者の言としてあえてその全文を引用しておこう。

「三年有余の苦闘遂に空しく、征戦すでに往時と化し、ここに海軍解散の日を迎ふるに至れり。顧みれば明治初頭海軍省の創設以来七十余年、この間、邦家の進運と海軍の育成に尽瘁せる先輩諸士の業績を憶ふ時、帝国海軍を今日において保全すること能はざりしは吾人千載の恨事にして深く慙愧に堪へざる所なり。今次開戦以来海軍は全員特別攻撃隊の純忠に徹し、その全力を傾けて終始敢闘したりといえども、遂に叡慮を安んじ奉ること能はず国家今日の運命を招来したるは、上御一人に対し奉り、また国民各位に対し深くその罪責を痛感するものなり。(略)ここに永き歴史と伝統を有する海軍の解散に際し、今日まで国民各位より海軍に寄せられたる絶大なる御援助御厚情に対し無量の感慨を以て御礼申しあぐ」(p.192-194)

そういった簡単な薄っぺらなイメージが、きちんと名前がある官僚たちのエピソードで分厚くなっていったのがよかったな、と。
歴史教育について触れていた有馬成甫の「旧海軍に対する所感は」に答えた言葉も教訓として覚えておくべきだと思う。

予備役の折に自ら歴史を学んだりしたゆえか、「旧海軍に対する所感は」と問われて、「最大の欠陥は歴史(戦史は別)を教えなかったことである。軍事は政治の中心をなずものであるから、政治の根本を軍人に教えなくてはならない。これは歴史教育に依るべきものである」との自戒が必要だと洩らしている。(p.259-260)

その他にも、元海軍大将で横須賀で英語塾をしていた井上成美海軍大将とか、特攻作戦の生みの親とも言われる大西瀧治郎(海軍中将)とか。伝記みたいなもので読んでみたい、もっと知りたい人もたくさん。[→メモ:そして官僚は生き残った]

そして官僚は生き残った 昭和史の大河を往く 第十集

そして官僚は生き残った 昭和史の大河を往く 第十集